主を恐れることは知識の初めである。

主を恐れることは知識の初めである。

愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。

箴言1:7
教会に通っている人も教派によって、神様に対する考え方はさまざまです。
ある人は、偉大なる神様を友達のように考え、軽々しく接する人がいますが、

とても恐れ多い行動だと思います。

まるで、親戚のオジサンのように、聖書に書かれている神様とは、だいぶかけ離れた神様がそこにはあります。

これは、神様を自分勝手に想像し、自分の神様を創りだした行動に過ぎません。

少なからず、聖書に書かれている神様は、私たちの想像を更に超えた神聖なる方なのです。
創世記の時代、この世があまりにも罪に染まったため、この世界を創造したことを神様は後悔されたといわれました。

そこで起きたのがノアの洪水です。ノアの家族8人を除き、全ては洪水で滅ぼされた事件です。

この歴史を通しても私たちはどういった信仰を持つべきなのか教訓として学ばなければなりません。

今日もノアの日に起こったことと同様のことが起こるといわれているからです(ルカ17:28)。

本当に、今行っている信仰は、神様が御覧になったときに正しいとされる信仰なのかどうか。

聖書を前に置いて、おごりたかぶらず謙虚な姿勢で信仰をすべきではないでしょうか。

自分は大丈夫だとおごっていたら、神様のその御心とはそぐわなくなるかもしれません。
主を恐れることは知識の初めである。

愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。
この御言葉をもう一度深く考え、もう一度自分自身を省みる時間を持たれることを願います。

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