聖書の中で一番大切な教えとは?

聖書の中で一番大切な教えとは?

 

イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。

『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は唯一の主である。』」

心を尽くし思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くし
て、あなたの神である主を愛せよ。

(新改訳聖書 マルコ12:29‐30)

 

また、『心を尽くし、知恵を尽くして主を愛し、また、隣人をあなた自身のように愛する。

ことは、どんな全焼のいけにえや、供え物よりも、ずっと、すぐれています。

(新改訳聖書 マルコ12:33)

 

%e6%96%b0%e5%a4%a9%e5%9c%b0%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e6%95%99%e8%a8%bc%e6%8b%a0%e5%b9%95%e5%b1%8b%e8%81%96%e6%ae%bf%e6%96%b0%e5%a4%a9%e5%9c%b0%e6%95%99%e4%bc%9a1

 

 

 

 

 

 

 

唯一の神様を信じ、愛すること。そして、隣人を愛すること。

これはどんなに、教会に献金を捧げ、奉仕するよりも大切なことである。

 

 

新改訳聖書 エペソ書5章1節から14節 新天地教会の聖書勉強

新改訳聖書 エペソ書5章1節から14

5:1ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。5:2また、愛のうちにみなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。

5:3あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。 5:4また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。

5:5あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者――これが偶像礼拝者です。――こういう人はだれも、キリストと神との御を相することができません。 5:6むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行ないのゆえに、神の怒りは不順な子らに下るのです。

5:7ですから、彼らの仲間になってはいけません。 5:8あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしくみなさい。 5:9――光の結ぶは、あらゆる善意と正義と真実なのです。―― 5:10そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。 5:11を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。

5:12なぜなら、彼らがひそかに行なっていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。 5:13けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。 5:14明らかにされたものはみな、光だからです。

 

 

光の子供らしく歩むものは、暗闇にはいない。神様の御言葉を持っているからだ。

神様の御言葉を持っている者は、暗闇を照らすことができる。

神様を知らず、信仰に迷っているものたちを真理に導く働きである。

 

まさに、新天地教会の役割はこれであると考える。

聖書の御言葉を知らない人には、真理を知らせ、神様の御心が何かを悟らせる。

信仰に揺らぐ人には、神様に対する確信を持たせ

自分に自信が持てないものにも、進むべき道とその人の存在価値を知らせる。

 

ところが、エペソ5:11節以降に書かれているように、暗闇の存在もいることを忘れてはいけない。

暗闇にいる者とは、光の働きを嫌う者である。

 

新天地教会で行う、聖書の学びを怪しい集いのように悪評を広め、

ありもしないことを人々に広める人たちの事だ。

 

といっても、神様の働きは絶対であり、どんな邪魔にも神様の真理に勝つことはできない。

新天地教会が、どの教団からも恐れられているのはこの神様の真理があるからだ。

新天地教会の武器こそ、聖書の御言葉であり、理解に難しく、ややこしい注釈を引用したりはしない。

人は、新天地教会の教理と、一般の教会の教理を比較することで、何が正しいのかすぐに分かるはずだ。

結果、真理を求め、神様の御心を求めるものは、どんな悪評や噂などにまどわされず、真実を知ることができ、それ故に世界の信仰人たちが新天地教会に集まっているのである。

神様の勝利の日は、もう目の前まで来た。信仰人は、人の言葉に惑わされず、聖書に立ち返り真実を認めよう。