新天地教会は、11月19日 韓国済州島神山公園にて献血ボランティアを実施しました。
新天地教会、済州支部で献血奉仕が行われるのは昨年に続き2回目の実施です。特に11月は、献血不足の時期であり、こういった献血奉仕は献血センターからも重宝されます。
献血によって救われる命があるはず。今回のボランティアには、53人が参加、自主的にたくさんのかたが参加してくださいました。
新天地教会は、11月19日 韓国済州島神山公園にて献血ボランティアを実施しました。
新天地教会、済州支部で献血奉仕が行われるのは昨年に続き2回目の実施です。特に11月は、献血不足の時期であり、こういった献血奉仕は献血センターからも重宝されます。
献血によって救われる命があるはず。今回のボランティアには、53人が参加、自主的にたくさんのかたが参加してくださいました。
創世記2章15~17節
神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またこそを守らせた。
神である主は、人に命じて仰せられた。
「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それをとって食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
神様は、アダムにエデンの園を耕せ守るようにさせ、善悪の知識の木の実以外の実なら思いのまま食べて良いと言われた。
アダムは、神様との約束を守るべきだったが、結局守ることができず、エデンの園を追い出されるようになる。
創世記3章5~6節
あなたがたがそれを食べる時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり
善悪を知るようになることを神は知っているのです。
そこで、女が見ると、その気はまことに食べるのに良く、目に慕わしく
賢くするというその木はいかにも好ましかった。
それで、女はその身をとって食べ、いっしょにいた夫にも与えたので
夫も食べた。
よって、アダムとエバは、エデンの園から追い出され、いのちの木の実を食べることができず、永遠に生きることができないようになった。
創世記3章22節
神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれの一人のようになり、善悪を知るようになった。今、彼が手を伸ばし、いのちのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」
ここでいわれる『われわれの一人』とは、サタン悪魔、堕天使ルシエルのことだ。
また、この蛇の正体も黙示録を読むと悪魔、サタンであることが分かる。
ユダ1章6節
また、主は自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大きなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗闇の舌に閉じ込められました。
黙示録20章
彼は、悪魔であり、サタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って
つまり、アダムとエバが善悪の実を食べるようにさせた蛇の正体はサタン、悪魔であり、
アダムが神様から離れ、罪を犯し、人類に死が広がるようにさせることが目的だったのである。
ローマ5章12節
そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死がはいり、こうしれ市が全人類に広がったのと同様に、
罪がある限り人は永遠に生きることはできない。悪魔の目的はまさにこれであった。
しかし、慈悲深い神様は私たち人類を見捨てずに、みなが救いに至るように働いてくださった。
その救いこそイエス様である。イエス様の十字架の贖いによってのみ人類の罪をなくすことができるからだ。
ゆえに私たちは、イエス様の十字架の贖いの恵みを忘れてはならず、アダムのように神様から離れるようなことがあってはならない。
ローマ6章10~11節
なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。
このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだようなものであり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きたものだと思いなさい。
サタン悪魔は、神様を信じない者ではなく神様と共にしたアダムを惑わし働いた。つまり、サタンの惑わしは他人事ではなく、今の信仰世界でも起こり得る話なのである。自分自身はけしてアダムのように神様から離れる者になってはならないと教訓として考えるべきだ。
第一コリント 3:18~21
:18 だれも自分を欺いてはいけません。もしあなたがたの中で、自分は今の世の知者だと思うものがいたら知者になるためにはおろかになりなさい。
:19 なぜなら、この世の知恵は神の御前でおろかだからです。こう書いてあります。
「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕らえる。」
:20 また、次のようにも書いてあります。
「主は知者の論議を無益だと知っておられる。」
:21 ですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべてはあなたがたのものです。
いくら賢いこの世の知者であったとしても、神様の知恵を人の知恵で悟ることはできない。
この知恵を悟ることができるのは、この世の支配者ではなく、神を愛する者たちなのだ。
第一コリント2:9
目が見たことのないもの、
耳が聞いたことのないもの、
そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。
神を愛する者のために、
神の備えてくださったものは、みなそうである。
ヨハネ14:23 【新改訳聖書】
イエスは彼に答えられた。「だれでも私を愛する人はわたしの言葉を守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、私たちはその人のところに来て、その人と共に住みます」
イエス様を愛すること = 御言葉を守ること
人がいくら愛していると叫んでも、相手にそれが伝わっていなければ、その告白も意味のないものになってしまう。愛とは、ただ言葉を伝えるだけではいけないのだ。特に神様は、その人の言葉よりも、その人の心の内をご覧になられる。
ゆえに、心からイエス様を愛している人は、口ではなく行動でその愛を示そうとするはずだ。
新天地イエス教証拠幕屋聖殿(新天地教会)で進められている一般教団との教義比較公開キャンペーンに市民から大きな反響を呼んでいる。
新天地イエス教会は今月14日、報道資料を通して一般教団との教義比較サイトを紹介、聖書に基づいた、適切な信仰をする教会は果たしてどちらなのか、直接見て判断すべきだとキャンペーン活動を行った。
新天地教会では今年、7月から全国の主要都市の通りで教義比較資料を配布し「新天地教会の開かれた啓示の御言葉」を広報するための野外活動に力を入れ、全国159箇所の地域で行われている。
道行く人々も教義比較資料を目にするなり興味を示し、これまでソウル・京畿地域だけでも約1000人が新天地教会の御言葉を聞きたいと意思を表明した。このうち317人が現在、聖書基礎コースに登録し御言葉を学んでいる。
あなたが私を呼び求めて歩き、私に祈るなら、
私はあなたがたに聞こう。
もし、あなたがたが心を尽くして、
わたしを探し求めるなら、私を見つけるだろう。
わたしはあなたがたに見つけられる。
―主の御告げ―
エレミヤ29:12
先月10月28日から30日の3日間、韓国安山(アンサン)地域にって新天地教会ボランティアによる壁画奉仕が行われました。壁画の場所に選ばれたのは安山に位置するブッコ小学校( 부곡초교 )です。
今回の壁画奉仕のタイトルは、小学生たちが未来へ羽ばたくよう『子供たちの夢( 아이들의 꿈 )』とつけられました。
ボランティアには、美術専門家など含める30人の新天地教会ボランティア団員、そして、ブッコ小学校の学生、ウォルビ消防隊( 월피소방관 )サンロク警察官( 상록경찰관 )それから、在韓外国人に至るまで多様なジャンルの方々が参加してくださいました。
初日となる28日には、消防隊の協力によって、壁をきれいに洗うことができました。きれいになった壁に、警察官と小学生たちが下絵となるスケッチを描きペイントを始めます。
見慣れない光景に、道行く人も足をとめ、見守りました。
作業の途中、雨が降るのではないかと不安でしたが、幸い天も助け無事下絵を仕上げることができました。
2日目、急に寒くなりましたが、壁画奉仕は順調に仕上がっていきます。
最終日の30日は、多くの外国人の方が手伝ってくれました。
学校の壁に描かれた『子供たちの夢』無事に仕上がり、みんなうれしそうです。
壁をバックに記念撮影しました。
新天地教会オープンハウスが11月5日に新天地順天教会で行われました。
新天地教会オープンハウスとは、あまり知られていない新天地教会について、外部の人々も知ってもらうために企画されたもので、現在韓国全地域の教会で行われています。
このオープンハウスの利点は、新天地教会に対する間違った認識を直す点です。
一般教会では、勝手に好き勝手誹謗や中傷を広め、新天地教会がまるでカルト教会であるように教えるため、この話だけを聞いたひとは、先入観によって誤解をしていますが、そうした認識をこのオープンハウスで改め、何が正しく間違っているのか確かめることができるのです。
嘘でいくらだましても、真実までもを変えることはできないでしょう。
オープンハウスに参加する人々は、皆、聞いていたこととはまったく違っていたと、驚くのですから。
家族や友人が新天地教会に通っているらしい。だが、新天地教会がどんな教会なのか知られていない。だから、人々を新天地教会に行かせないように、一般教会の人々はそんな家族の心理を利用して、強制改宗教育まで行っているのです。
しかし、新天地教会がどんな教会なのか家族にも正しく理解されれば、嘘をつく牧師の言うことが間違っていることも分かります。
親は自分の子供がどんな教会に通っているのか分かれば安心して通わせることもでき、友人にも堂々と話すことができます。
そのために、オープンハウスが開かれるのです。
今回、開かれた新天地順天教会のオープンハウスでは、事前に募集した1000人の評価団から150人を招待する特別な企画となりました。
1000人の評価団とは、宗教関係なく地元市民から成り立ち、先入観なく新天地教会を評価してもらうために集められた人々です。
もともと、新天地教会に対する悪い噂は聞いてはいても、直接確かめた訳でないので、このオープンハウスをきっかけに新天地教会を知ろうとこの日は150人の方が参加してくださいました。
この日準備されたのは、文化公演や新天地教会の紹介映像、テーマ写真展そして教義比較映像などです。
それまで、知らなかった新天地教会について話を聞き、直接質問しながら確かめることで、どんな教会なのかを知る機会となったはずです。
参加された全ての方々は新天地教会に対して好感を持ってくださり、中には新天地教会の教えを学びたいと言ってくださる方もいました。
心から感謝します。
まだまだ、誤解する人も多い中で、こういった働きがあるのはうれしいことです。
今日は、11月に釜山サハ区で行われた新天地教会ボランティア団のイ・美容奉仕を紹介します。
イ・美容奉仕とは、美容関係のボランティアのことを指します。例えば、散髪や染髪、ネイルアートや化粧を施す奉仕はみなこのイ・美容奉仕に含まれます。
この日、釜山新天地教会ボランティア団たちは、釜山サハ区の一つの敬老堂を訪れました。
韓国の敬老堂は、老人の方ならだれでも利用でき、老人同士の集いの場として活用されています。最近は寒さも厳しくなり、毎日を自宅と敬老堂を往復する毎日で、ほとんど建物にこもりっぱなしだそうです。
どこか外出するのが難しい方々に喜んでもらえる奉仕は何かないかと考えたときに、提案されたのがこのイ・美容奉仕でした。
普段ない特別なイベントに、しかも無料で利用できるのですから、喜ばないわけにはいきません。案の定、このイ・美容奉仕を、敬老堂の方々は大変喜んでくださいました。
容姿を整え、気持ちも新しく持ったこの奉仕に新天地教会ボランティア団のメンバーたちもやりがいを感じました。
会話では、昔話に花を咲かせたり、普段の話や他愛ない話で盛り上がりました。
敬老堂には、さみしい思いをされている方もすくなくありません。単に奉仕を行うだけでなく、交わりを持ちながら行うことで、互いに温かな気持ちになってきます。
老人会の会長さんからも、感謝の言葉をかけてくださいました。
新天地教会ボランティアでは、自分の特技を生かした才能寄付のボランティアに充実しています。誰かを喜ばせることができたらという小さな思いが地域社会を明るくするのかもしれません。これからも、みなが笑顔で暮らせる世界にするために、新天地教会ボランティア団はがんばっていきます。
信仰人は誰もが希望をもって信仰をしているはずだ。
100人の一般クリスチャンたちに、どんな希望を持って信仰しているのか質問をすると
半分以上が、人生の成功、もしくは心の安らぎと答えた。
聖書には神様の知恵がかかれ、人生の成功のためにも神様の知恵が必要なのだという。
そして、生きていくことに疲れを感じている人にとっては、神様の御言葉だけが
心を癒すことができるという。
これらは、けして間違っていることではないが、新天地教会に通う人たちが考える
希望とは少し異なる。
新天地教会の信仰人たちが抱く希望とは、まさに、神様の御心が成し遂げられることだ。
神様の望みが叶うことが、私たちの希望であり、その希望を為すために、新天地教会では
必死になって神様の国のために働いている。
アダムの罪以降失われた神様の国を取り戻し、もう一度神様が共にされる世界を創造
まさに、黙示録21章で約束された内容を成し遂げることである。
これこそが、信仰人にとって希望でなければ何になるというのだろう。
神様のみ顔を仰ぎみることができ、神様と共に暮らすことのできる世界。
世の終わりであるといわれている今日だからこそ、この時を逃すことなく
自分が聖書でどんな存在であるのか、はっきりと悟り、
信仰人として、何をすべきなのかその答えを見出すことが特に重要である。
神様の御心を為すために自分がどうすればいいのか
それさえ悟れば、人生の成功も心の安らぎもすでに得ることができ
神様の希望をなすために信仰人として素晴らしい歩みを歩むことだろう。