聖書でみる偽善者

聖書でみる偽善者

(マタイ15:8~9)

 

『この民は口先でわたしを敬うが、

その心はわたしから遠く離れている。

彼らが私を礼拝しても、むなしい。

人間の命令を、教えとして教えるのだから。』」 

(新改訳聖書)

 

神様がご覧になった時の偽善者とは、神様の御言葉の真理も分からずに

神様の真理だと語り、人々に教えることである。

2000年前のエルサレムの聖職者たちの現状もそうであった。

これは、イザヤ書の御言葉の預言通りであり、当時の聖職者たちは

約束された救い主イエス様の存在を認めず、自分たちの義だけを人々に現し

神様の真理を人々に教えることをしなかった。

 

果たしてこの御言葉は、この時代だけに当てはまる御言葉だろうか。

今日の信仰人たちも、聖書の解釈も様々あっていいのではないか

自分に合った解釈をみつければいいだとか、そういった言葉が

教会の中で当たり前のように考えられている。

しかし、聖書の御言葉は、真理であり様々な答えがあるものではないはずだ。

 

これは、御言葉の真の意味を知らないということの表れであり、

だれも真理を知らないということなのではないかと考える。

真理も分からずに、真理でもないのにあたかも真理かのように教えることこそ

神様がご覧になった時の偽善者であり、人は騙せても神様の目を騙すことはできないことを

私たちは知るべきことだと思う。

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献血ボランティア 一人でも多くの命を救いたい 新天地教会ボラティア

献血ボランティア 一人でも多くの命を救いたい 

新天地教会ボラティア

 

 

新天地イエス教証拠幕屋聖殿修了式2

今年510日、新天地順天教会にて献血ボランティアが行われました。

(垂れ幕には、愛の分かち合い 献血キャンペーンの文字)

 

《献血の大切さ》

 

献血は、けして他人事ではなく、いつ自分や家族も必要となるかもしれない大切なものです。

韓国では年間、300万人の健康な血液を必要としています。

それだけ、多くの人が輸血を必要としていますが、血液が今、足りないでいるのが現状です。

献血で救える命があることをもっと、多くの人が知るべきだと思います。

 

自分ももしかしたら、ケガや病気で輸血を必要とするかもしれない。

もしかしたら、大切な家族や友人がいつか輸血を必要とするかもしれない。

そう考えたら、けして献血は他人事には思えなくなります。

新天地イエス教証拠幕屋聖殿修了式3

バスの前に並ぶ教会の人たち

黄色いチョッキを着ているのが新天地教会のボランティア団の皆さんです。

人の命は何よりも貴重なもの。神様から頂いた命、兄弟姉妹の命、

私たちの小さな心がけで救うことができるのならば、献血活動参加して間違いないはずです。

新天地イエス教証拠幕屋聖殿修了式5

献血された血液は濃縮赤血球は35日、血小板は5日が保存期間で長期間の保管が難しいので、

それだけ、新鮮な血液が常に必要とされ、多くの人の助けが必要となります。

新天地順天教会は、この日のみならず、持続的に献血活動に貢献することにしました。

新天地イエス教証拠幕屋聖殿修了式6

人は一人では生きていけない。神様はだからこそ、私たちが助け合って生きて行けるように隣人を与えてくださいました。その神様の愛に感謝して、神様を愛するように隣人を愛せる私たちでありたいです。

あたなたがたの中に苦しんでいる人がいれば、その人は祈りなさい。

喜んでいる人がいれば、その人は賛美しなさい。

-ヤコブ5:13-

公共交通機関利用キャンペーン実施 新天地教会ボランティア団

 

公共交通機関利用キャンペーン実施

 新天地教会ボランティア団

 

新天地イエス教証拠幕屋聖殿新天地教会活躍.ボランティア1

 

8月24日、韓国清州市中央洞の青少年広場にて、新天地教会ボランティア団が主催する公共交通利用キャンペーンが実施された。

清州市は元々、交通渋滞が激しく、駐車場不足が深刻化している地域でもある。

これら問題を解決させるためには、普段から市民たちによる関心と公共交通の利用が必要となってくる。

新天地教会新天地イエス教証拠幕屋聖殿

この日のイベントには、200人余りの市民たちが参加し、人々の興味を引いた。

交通カード会社のマイビーも今回のイベントに協賛、参加者に200枚の交通カードが提供され、積極的に公共交通機関を利用するという市民の誓いを作成した。

 

新天地イエス教証拠幕屋聖殿新天地教会活躍.ボランティア2

キリスト教世界で唯一成長を遂げる新天地教会の秘密①

キリスト教世界で唯一成長を遂げる新天地教会の秘密①

 

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(写真:6月18日新天地ペテロ教会にて行われた修了式での写真 2625名がこの日修了した)

 

キリスト教徒数が年々、減っている中で、なぜか新天地教会は著しい成長を遂げている。

 

韓国キリスト教会の衰退の原因は、主に教会内部のスキャンダルであることはみな知っている。お金に目がくらんだ牧師たちが教会の献金を横領したり、私服する事件が後を絶たず、口には出せないような不祥事が後を絶たない。

 

そんな一方で、なぜ人々は、新天地教会を見つけ出し、集まろうとするのだろうか?

 

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新天地教会は2017年度の上半期だけで1万5528名の修了生を輩出している。現在、修了待機者だけでも1万4000人を超え、今年の末には3万人が正式に入教する予定である。

 

それだけ、多くの人たちが集まるのならばさぞかし入教するのも簡単なのではないかと思われがちだが、新天地教会に入教する過程はそんなに楽な道ではない。

約6ヶ月課程の神学教育を受け、信仰の態度や修了試験の点数が満たされなければけして終了する事はできない険しい道である。それでも、神様の真理を求め、真の信仰人になることを求める人にとっては、真理に出会えたことに喜びを感じ、聖書の学びはけして負担にはならない。

人の言葉や思想ではなく、神様の御言葉に導きだという確信があるからこそがんばることができるのだ。

 

 

新天地教会への誤解と理解

新天地教会への誤解と理解

 

韓国各地域にて、新天地イエス教証拠幕屋聖殿(以下、新天地教会)のオープンセミナーに人々の関心が集まっている。

これまで、一方的な虚偽報道にて大きく誤解を受けてきた新天地教会であったが、これらオープンセミナーを通し人々の誤解が解かれ、新天地教会への理解を得ている。

 

新天地イエス教証拠幕屋聖殿修了式2

△新天地クミ教会にて開かれたオープンセミナーの様子(地域市民200名が参加)

噂に騙され、知りもせずに罪なき人を非難してはいけない。正しい人ならば、それが事実かどうかを確かめるはずだ。キリストの教えは、愛と祝福、そして赦しである。神様を信じ、聖書を読むクリスチャンであるならば、教団、教派にこだわることなく、キリスト教の発展と、神様への栄光を表すことに力を入れるべきではないだろうか。

新天地教会のオープンセミナーに参加した人々は、これまでもっていた先入観を改め、新天地教会に対する誤解を解くことができた。知らない時は、間違っていたことを事実だと信じていたが、知ってみれば話にならないことばかり、嘘を真実だと信じていたことに恥ずかしさを覚え、誤解していたことを謝りたいと申し出る人もいた。

講演を聞いた市民は「メディアやインターネットなどで新天地教会がまるで反社会的集団とであると報道しているが、実際の新天地教会は、既成教会とは違い、若くて覇気のある青年たちが集まるので気になり、セミナーに参加した」とし「今日の講演を聞き、新天地教会が地域社会へ非常に多くの貢献してきたことを知った。正しいことをしているのに、既成教会によってこれら奉仕が妨害されることはとんでもないことだと思う」と所感を語った。

イベントに参加した他の市民も「マスコミで触れた新天地はかなり恐ろしい宗教団体に見えたが、実際に来てみれば、表情も明るく、インターネットに流れている内容とは違っていた。メディアに騙されたことを知った」とし「地域社会の偏見を受けながらも、今日まで様々なボランティア活動をしてきた様子をみて、今後も地域のために懸命に働いてくれればいいと思う」と述べた。

 

新天地イエス教証拠幕屋聖殿修了式

真実を偽り人を騙すことができても、神様の目を欺くことはできない。今こそ、何が間違っていて正しいのかすべての真実が人々に知られる時を迎える時なのではないだろうか。クリスチャンならば、正しい心を持ち、神様に喜ばれる信仰人になるべきだ。

新天地教会への誤解が解かれ、人々の関心が新天地教会に向けられている。日本でも、インターネットの情報に騙されず、正しい心で判断する人々が増えることを願う。

 

 

 

旧約と新約の教えを守ること

旧約と新約の教えを守ること

 

聖書には、大きく二つの約束がある。

①旧約・・・古い約束

②新約・・・新しい約束

この約束は、神様が信仰人たちに与えたものであり、約束であるだけに、守るように言われた御言葉である。

旧約の信仰人たちは、この約束を最後まで守ることができなかった。

ゆえに、今の新約があるのだが、今日私たち信仰人が守るべき約束こそこの新約である。

今を生き、今信仰する私たちは、この新しい約束である新約に関心を持ち、果たして自分自身はこの約束をしっかりと守っているのかどうか、一度は考えるべきであると考える。

傲慢になるのではなく、へりくだり、謙遜な気持ちで御言葉を聞く者に、神様は悟りを与えてくださるはずだ。

全ての者が新約を正しく理解し、守るこの信仰世界になればと思う。

 

 

 

敵を愛す人に神様は共にされる

敵を愛す人に神様は共にされる

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敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。

悪口を言うものに祝福を祈り、あなた方を侮辱する者のために祈りなさい。

 

あなた方は、敵を愛しなさい。

 

あなたがたの父が憐み深いように、あなたがたも憐み深い者になりなさい。

 

-ルカ6章27節~36-

 

己の感情のままに、人を嫌うのではなく、むしろ相手を理解し

相手のために祈る者に神様は共にされるはずだ。

安易に人を判断し、批判するのではなく、愛を実践する信仰人でありたい。

神様が信仰人に望まれていることとは何か?

 

神様が信仰人に望まれていることとは何か?

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わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。

燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。

ホセア6:6 

神様が望まれるのは、高額な捧げものでも、献金でもない。神様ご自信を知ることなのである。

神様から知ることから遠ざかることなく、聖書を親しみ、神様の御心を悟るものになろう。

信仰による義人は生きる

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ローマ書1章

1:14わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、賢い者にも無知な者にも、果すべき責任がある。 1:15そこで、わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることなのである。 1:16わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。 1:17神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。

 

どんな義人であっても、神様の中で生きなければ、意味がない。

人は、信仰によって生きてこそ本当の価値があるのだ。

神様のみことばには、国境はない。

この世界、全ての人が福音を信じ、救いに至ることができるように。

 

 

 

 

天の御国にはみなが入るのではなく、主の御心を行ったものが入る

 

わたしに向かって、主よ。主よ。というものがみな天の御国に入るのではありません。

天におられるわたしの父の御心を行う者が入るのです。

その日には、大勢の者が、わたしにいうでしょう。

主よ。わたしは、あなたの名によって預言したし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇跡をたくさん行ったではありませんか。

しかし、その時、わたしは彼らにこう宣言します。

わたしはあなたがたを全然、知らない。不法をなすものども。わたしから離れて行け。

「マタイの福音書7章21~23」

 

일흔번씩_일곱번_(1)

 

イエス様の名によって、預言をしたとしても、悪霊を追い出したとしても、奇跡を起こしたとしても、どんなに、神様を深く信じていようが、神様の御心から離れた信仰をしていては意味がない。

大切なのは、まずは、神様の御心を知ることから始めなければいけないのだ。

自分よがりな信仰をしてもいけないし、聖書の解釈を勝手に変えてもいけない。

その人が天国に行くにも、地獄に行くのも結局は、その信仰の行いによって決まる。

神様を恐れ、地獄を恐れる敬虔なクリスチャンならばこそ、聖書の前に低くなり、己の考えを捨て、神様に従順すべきである。