天の御国にはみなが入るのではなく、主の御心を行ったものが入る

 

わたしに向かって、主よ。主よ。というものがみな天の御国に入るのではありません。

天におられるわたしの父の御心を行う者が入るのです。

その日には、大勢の者が、わたしにいうでしょう。

主よ。わたしは、あなたの名によって預言したし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇跡をたくさん行ったではありませんか。

しかし、その時、わたしは彼らにこう宣言します。

わたしはあなたがたを全然、知らない。不法をなすものども。わたしから離れて行け。

「マタイの福音書7章21~23」

 

일흔번씩_일곱번_(1)

 

イエス様の名によって、預言をしたとしても、悪霊を追い出したとしても、奇跡を起こしたとしても、どんなに、神様を深く信じていようが、神様の御心から離れた信仰をしていては意味がない。

大切なのは、まずは、神様の御心を知ることから始めなければいけないのだ。

自分よがりな信仰をしてもいけないし、聖書の解釈を勝手に変えてもいけない。

その人が天国に行くにも、地獄に行くのも結局は、その信仰の行いによって決まる。

神様を恐れ、地獄を恐れる敬虔なクリスチャンならばこそ、聖書の前に低くなり、己の考えを捨て、神様に従順すべきである。

 

 

 

 

 

 

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